ナーシャ・ジベリと冒険気分
2006.08.23 - 01:33 [ゲーム雑文]
もう、今から20年近くも前のこと。熱病にかかるように多くの人々が熱狂した、『ドラゴンクエスト』に端を発するコンピュータRPGブームの真っ只中、そのゲームは現れた。
制作会社の解散を賭けてリリースされたその作品は、しかし相当の野心作だった。
『ドラゴンクエスト』は派手に喧伝した、シナリオライター・堀井雄二とキャラクターデザイン・鳥山明に対抗して、配したのがシナリオに寺田憲史、デザイナーに天野喜孝。
『ウルティマ』を徹底的にモデファイして間口を広めた先達に対し、こちらは初期『ウィザードリィ』をブラッシュアップして世界を構築した。『ディープダンジョン』の不成功は、『ドラゴンクエスト』の良い部分をエキスとして抽出、融合を図ることで深みへと変じたのである。
その他のスタッフ、坂口博信をはじめ、河津秋敏、石井浩一、植松伸夫などなど。
『最後の夢物語』と名付けられたその作品は、クリスタルの輝きで世界に平和をもたらすだけでなく、会社に安定と発展をももたらした。
そんなスタッフの中、一人のイラン人がいた。
天才的なその技術は当時のゲーム雑誌ですでに『芸術』とまで評され、アーケードの稼動基盤からすれば格段のショボさは否定できなかったファミコンというハード面の制約の中、『スペースハリアー』・・・を模した『とびだせ大作戦』の高速スクロール、『アウトラン』・・・を模した『ハイウェイスター』のアップダウン走行、どれもこれも当時のプログラム技術として抜きん出た才能と言えた。・・・作品はパクリだっが。
世界中を放浪した彼は、やっぱり小さな島国に永住するということはなく、のちにファミコンで制作されていた幻の第四作目が破棄されたために日本を去ることとなるが、全部で三作の『最後の夢物語』をプログラマとして世に送り出した。
他機種に移植されない理由は、彼のプログラムがあまりに高度過ぎて誰も手が出せない為とまで評された芸術的なその作品は、多少趣を変え、現代風にアレンジされた。もう彼の手元を離れてしまったけれど、およそ16年の時を経て、再度私達の元に現れることとなった。
伝説的な最強アイテム無限増殖は天才のお遊びだったのか、それとも複雑過ぎる演算処理の中で偶発的に生まれたものなのか、それは分からない。
私がまだ中学生だった頃、卒業文集の尊敬する人ってところにナーシャ・ジベリって書いたことがある。
当然、何者かを知らない学校の先生は説明を求め、私が仕方なく答えると、職員室総出で私はこっ酷く叱られた。
ゲームを作ってるような外人を尊敬するとは何事だ、そんな感じだった。
そんなこんなでわたしの尊敬する人欄は修正液で白塗りされてしまったままわら半紙で刷られたので空白だけれど、今でも私の選択は間違っていないと信じている。
たまねぎ剣士が帰ってくる。
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